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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 信濃路、秋薫る vol.1


キリシタンを追いかけて、今回は長野へ。真田の郷、長野にはキリシタンがいて摘発されたりしています。あまりキリシタン関係の史跡は多くないですが、殉教地もあるので一度回っておきたかったのです。ではいざ~(^^)/


八ヶ岳自然文化園


道のりが遠いので、とりあえず八ヶ岳でひと休み。自然文化園には昔来たことがあるので、寄ってみました。もう15年くらいにはなるはずだけど、意外と変わってないものですね。

変わったのは自分か・・・。人生は変転流転するものだから。自然が変転流転することを美しいと詠んだ詩があるけれど、人はどうでしょうね。できることなら変わらぬ外見のまま、内面だけ成長したい。無理だけど汗。



八ヶ岳中央高原キリスト教会


せっかく八ヶ岳に来たから、近くにある教会を検索してこちらへ。ノルウェー・ルーテル派が創設した八ヶ岳中央高原キリスト教会 です。

どういう教派なのか分からないけれど、こんな森の中に教会を建てているんですね。車道から随分と奥まった場所にあります。


高遠城址公園


午後になって高遠城址公園にようやく到着。高遠城址は有名な桜の名所なのですが、今は秋なので静かな佇まい。それはそれでいい感じです♪

高遠城は、武田信玄の命で山本勘助が縄張りしたと伝えられ、それにちなんでこちらは勘助曲輪と呼ばれています。高遠高校のグラウンドになっていた時期もあったようですが、今はピクニックスペースみたいな感じ。でも門とか歴史を感じます。

往時は大手口が設けられ、武家屋敷が並んでいたようです。想像するのが難しいくらい空き地となってますけど。



神戸邸跡

旧高遠高校

大手門跡

大手坂

城門


勘助曲輪跡に車を停めて、橋を渡って高遠城の城門をくぐります。橋の下には堀切が。なかなか堅固な守りです。さすが勘助。

1582(天正10)年、信長軍の猛攻を受けて落城した高遠城の戦いは、ここで行われたんですね。

その時の城主 仁科五郎盛信(信玄の五男)は、腹をかき切り、自らの手で腸を引きちぎって壁に投げつけたとか言うけれど・・・。昔の落城って、恨み感がすごくてもう。



本丸跡

解説板

太鼓櫓

解説板

本丸跡


本丸跡には、一本だけきれいに紅葉した木がありました。

そこだけふわっと浮き上がって見えるような。

ここだったかもしれませんね、京極高知(きょうごく・たかとも)が受洗した場所は。


長野にもいたキリシタン大名


武田氏が滅んだ後、1594(文禄3)年南信濃(今の長野県南部)には、飯田城主として京極高知が入りました。京極高知の両親はオルガンティーノ神父から洗礼を受けたキリシタンで、特に母親の京極マリアが超熱心な信徒。勧めに勧めて、1595(文禄4)年高知も、飯田城の出城であった高遠城で洗礼を受けました。この時、若干22歳。

それでなかのかどうかはわかりませんが、高知の信仰は最初は熱かったようですが、次第に冷めて、秀吉の伴天連追放令も相まって、結局信仰はうやむやになっていってしまったようです。関ヶ原の戦いで徳川側について戦功を上げ、丹後(京都府の日本海に面した辺り)123000石を与えられ、見事国持大名となって、宮津へと去っていきました。

なので高知が長野にいたのは実質6年ほどで、その間に信仰も冷めてしまったので、城下でキリシタンが栄えるといったこともありませんでした。残念賞と言えば残念賞。でも長野にもキリシタン大名がいたことは確かなので、長野県民には知ってほしいところです(∩´∀`)∩



本丸跡

シオカラトンボ

紅葉

真っ赤

城下町


高遠城を後にして、今も城下町の風情が残る町へ。寄りたくなるようなお店が並んでいます。今日は時間ないからスルーだけど、一泊くらいするといいんでしょうね。

向かいますのは・・・というか、探しているのはキリシタン殉教地。1640年、高遠領で一人のキリシタンが捕まり、城下の牢に入れられた後、天竜川の支流、三峰川(みぶがわ)の山田河原で磔刑に処されたことが記録に残っています。

それで山田河原はどの辺だったのだろうと、三峰川沿いを下って行ってる訳で。うーん、地名にも残ってないし、その頃の処刑場跡を調べられなかったので勘に頼るしか。。導きたまえー!



三峰川の畔


車を停めたのは、三峰川榛原河川公園。ここが殉教地だったというのではなく、川沿いに下って来たけど、どこか見当もつかずにここに至っただけです。

高齢者の皆さんはゲートボールを、親子連れは遊具で遊んでいますね。寒いということを除けば長閑な光景です。

ここはお城から随分と離れてしまっているし、街道とクロスもしてないのでちょっと違うだろうなというのが私の見立て。でも三峰川の畔に立ってみたかったので、来られて良かったです。

磔になったのは、四郎左衛門という人。四郎左衛門は加賀国の薬売りで、すでに棄教していたのに、恐らく見せしめのために処刑されたものとみられます。折しも島原天草一揆後のキリシタン禁制政策が一層厳しくされた頃にあたり、見せしめのために、また幕府への忠誠を示すためにも、城下でキリシタンを処刑することが必要だったのかもしれません。これによって、もう信徒になる者がいなくなるだろうという狙いも含めて。



三峰川の畔

公園

公園

風景

桃源院

続いて桃源院へ。転びキリシタン四郎左衛門の檀那寺です。

檀那寺があるくらいだから、棄教していた訳です。これを「表面的な棄教だったのではないか。それがバレて藩も処刑したのだろう」と想像する向きもあるでしょうけれど、私は懐疑的です。

キリシタン迫害の当初は、棄教したら放免されるというのが、通常だったのですが、口先だけで棄教して、信仰に立ち返ってしまうことが多かったので、島原天草一揆以降は「私キリシタンやめます」と言っても信用されず、殺されたり、死ぬまで牢に入れられたりしたのです。

一度信徒になった者は「立ち返り」の可能性があり、そうなっては困るから、危険の芽は先に積んでおけということですね。桃源院は由緒ある寺院のようで石造物もいっぱいですが、キリシタンや四郎左衛門を感じられる物はないですね。当然ですけど。



桃源院

桃源院

奈良井宿


すっかり暗くなって奈良井宿に到着。

長野って広いんですねー。(←私の計画が甘い)

ポツンポツンと灯る明かりがなければ、ほぼ闇です。昔の夜は暗かったんだなと感じました。

この静けさと暗さを味わうことができるのがいいところなんでしょうけど、やーん探してる寺が見つからない (´;ω;`)グスン



奈良井宿

ポスト


案内図

大宝寺


スマホのライトで案内図を照らして、何とが現在地を割り出し、目指す大宝寺を見つけることができました。閉門時間が迫っているので、かなり走りました。

ええ、キリシタン関係でなければ、およそ走ることの私なので、息切れ半端ないです。でも入れて良かった。ここまで来て見られなかったら目も当てられないし。


「マリア地蔵」


なぜ息せき切ってこの寺に来たかというと、こちらの「マリア地蔵」を見るためです。

マリア観音でもなく、「マリア地蔵」って何?感じですが、とりあえず見ようと思って来たのです。一応見られる物は、どんなに「???」であっても、見てから判断しようというポリシーがあり。


「マリア地蔵」の解説板


解説板には「この石像は、昭和7年(1932)の夏に、地元の人が藪のなかになかば埋もれているところを掘り出したと伝える。抱かれる児が手にもつ蓮華の先が十字状になっているところから、隠れキリシタンが観音像をよそおってひそかにまつったものではないかと言われている」と書かれています。なら、「マリア観音」じゃね?と思うのは私だけでしょうか。

奈良井宿観光協会のサイトには「奈良井宿の中程に位置する大宝寺の境内にある『マリア地蔵』は、子育て地蔵の名をかり、頭なしのその姿は隠れキリシタンたちの悲しい歴史が刻まれています。」と、何の根拠もない尾ヒレまで書き加えられています。

そんな無茶苦茶なやり方で、こちらの石造物をキリシタン遺物に祀り上げてしまっていいんでしょうか。確かに頭部がない地蔵尊は異様に見えますが、「蓮華の先が十字状」だからといってイエス・キリスト像にはならないでしょう。そういう意匠は古今東西他にもあるのですから。


隠れキリシタン研究家の間違い


勝手な想像をするなら、隠れキリシタン研究家が遺物を探していろいろ見るうち、これがそうではないかと思うようになり、それがいつしか巷間にまことしやかに伝わるようになったのではないでしょうか。「十字状」だけ見て、「マリア地蔵」としてしまうのは、明らかに勇み足で論理的飛躍が著しいです。

それに観光関係者まで乗っかって宣伝しているのは、嘆かわしい限りで。「マリア地蔵」っていう時点で有り得なさそうだと思いましたが、実際に見てその通りだと確信できました。これはキリシタン遺物ではないし、キリシタンが拝んだり祀ったりした物でもないですね。

大体石造物を拝んだり祀ったりしたら、偶像崇拝になってしまうから、普通キリスト教徒はやらないんですよ。隠れキリシタン研究家や、恣意的な解釈をしてしまう人たちはそれを理解してないところが間違いの端緒になっていると思います。

クリスチャンになれとは言わないけれど、その分勉強しましょうよ。先入観を排除して、自分が見たいように見るのでなく、他の可能性を十分考慮に入れて。頼みますよ。



大宝寺

「マリア地蔵」解説板

「マリア地蔵」

「マリア地蔵」

高札場


予想はしていたものの、あまりにも明らかにキリシタン遺物でないことが分かって、残念というよりトホホな感じ。

「観光協会や本、ネットの書き込みに乗せられてここまで見に来ちゃったよ」という。ま、いいか。

・・・と、思ってましたら!暗闇に微かに浮かぶ物が。これは高札場ではないですかっ。



高札場


実物大で復元された高札場は、建てられていた当時の迫力そのままに、こちらを睥睨。

この前を通る人に畏怖を与えていたんだろうことが実感できました。

掛けられた高札の内容まで精密に復元されていて、出来が良すぎるくらい。ちゃんとキリシタン禁令の高札も掲示されていますね、左下の見やすい場所に。ご丁寧にありがとうございますといいたくなるくらい、完璧な再現。「マリア地蔵」より、こちらの方が見た甲斐ありました。

木曾路の宿場町を雰囲気だけ残したのでなく、細かいところまで実によく再現していると思います。暗い夜道と高札場、それから静かな町並み。感覚を呼び覚まされたような気がしました☆彡



解説板

高札場

高札場と水場

キリシタン高札!



提案!点数制はいかが?


ここ数年、あちこちで「発見」されるキリシタン遺物に翻弄され続けています。それで思ったんですが、信憑性を計る基準として点数制を導入してはどうでしょうね?

例えば「キリシタンの意匠がみられる」でプラス1点、「資料によってその地域にキリシタンがいたことが確認されている」で、またプラス1点。だけどマイナス点もあります。「これと同じ意匠が仏教その他の中にみられる」でマイナス1点、「その地域にキリシタンがいたという記録がない」でもマイナス1点。

そうやって点数を加算減算して、3点以上なら「キリシタン遺物である可能性が高い」とし、0ならば「どちらとも言えない」、マイナスならば「信憑性が低い」などと分類するのです。完全な分類は無理だとしても、基準となる項目をちゃんと挙げて点数で表せば、今のような混迷は避けられると思います。

キリシタンが注目されてうれしい反面、偽物が跋扈し、金銭まで絡んで複雑化するようであれば、キリシタンの実態とかけ離れた認識をされていってしまうので意味がありません。ここらで優秀で見識ある学者さんたちに立ち上がってもらえませんかね。

今はもうキリシタンだからと迫害されたりはしないけれど、これからのキリシタン施策を考えないといけない時期が来ている気がします。







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