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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ベトナムで碧くたゆたふ 3


ベトナムというと、ベトナム戦争を思い出す人も多いと思いますが、私もその一人。なぜかとても気になって、戦争証跡博物館は三回目。だけど未だに何も分かってないような気がするのです。何か本質を見落としているような感じで。私なりにでも意味や答えを見つけることができますように (*'ω'*)


拝所


朝になって見てみたら、ニャチャンのホテルにも拝所が。道教かなぁ?一番上に鎮座しているのは布袋様っぽいです。民間信仰は道教寄りなのかもしれませんね。やはり中国の影響を受けて。

朝の街角でバイン・ミー。朝食を外食やテイクアウトする人が多いのは、東南アジアだなという感じ☆彡


布袋様

私の朝食

バイン・ミー屋

バイン・ミー

南国


街路樹のフェニックスが青々と茂る中、朝の街を疾走するバイクの群れ。ニャチャンはリゾート地としてかなり開発が進んでいます。

十数年前はもう少し田舎の風情があったけど。外国人も大勢訪れていますね。

他の観光地ではそれほどメジャーとは言えないロシア人が多いのは、やはり社会主義国だからかと。歴史が風景を作っているんですね。


バス乗り場

空港へ

タクシー

ホーチミンのホテル


飛行機でホーチミンに飛び、予約してあった宿へ。やっぱりロビーに拝所があります。もう必須なんでしょうね。

MちゃんがFacebookでやり取りしていたベトナム人女性と待ち合わせて、食事へ。韓国料理店へ連れていってくれました。ベトナムでは韓国や韓国人はとってもイメージが良いそう。

はっきり言って意外でした。ベトナム戦争では、今の政府の敵側に立って戦ったのに。謎と言ってもいいくらいの不思議。この後孤児院に行くので、お土産のお菓子をスーパーで調達。今日はチャリティーです。



拝所

ホーチミン

韓国料理

お菓子

孤児院


Mちゃんはチャリティーをずっとしていて、それを海外でもできないか検討中。待ち合わせた女性はその関係者です。

日本がどんなことができるのか、可能性とニーズを探るために、ホーチミン市内の孤児院にやって来ました。

敷地は広く、隣は学校。おお、やはりポスターにはホー・チ・ミンですか。子供たちはマザーと呼ばれる女性と一軒家で家族のように暮らしています。


ポスター

孤児院

ホー・チ・ミン

屋外にラン

お土産


交流した時間は長くはなかったけれど、子供たちのキラキラした眼差しにハートを射抜かれました (●´ω`●)キューン

手作りのトンボとドラえもんボールペンをお土産のお土産にもらってきました。すみません、話してもらい、お世話になったのはこちらなのに。

見つめていたら何だか涙が出てきました。私の邪悪な心の中に、善良さが湧きてきた感じ。鬼の目に涙だな。いい人間になって、良いことがしたくなってきた。心に効きます、ベトナム。



夕飯


今日は移動がほとんどで、明日からが本格始動。一日を終えて、チェーン店のフォー屋さんで夕飯を。

牛がボー、フォーがフォーなので、フォー・ボー。どこの国に行っても食べ物の名前が一番早く覚えられるのは、人間の性かと。チェーが美味しい♪


チェー

足上げ


翌日、今度は障碍者施設に行ったのですが、私が張り切って着物を着て行ったら、それがNGで、全員施設に入れませんでした;;

心の傷ついた人たちには、怖く見えたりするのだとか。知りませんでした。無知は無恥を生みますね。反省。

というか、皆も行けなくなってしまって、ほんと申し訳ないです。あー、もう (T_T)

しょうがなくホテルに戻って、少し休むことに。同室のSさん(Tさんの奥さん)と壁に足を上げて、むくみ対策。足の疲れ取れるんですよね。連日休みなく歩き回っていたから、疲労物質溜まりまくってました。ちょっと寝て、気分落ち着いたかな。



お昼


お昼はおしゃれなレストランへ。ベトナムでチャリティーやってる皆さんとの食事会ということで。いろんな話ができて良かったです。日本語を勉強している人もいて。

驚いたのは、皆バイクに二人乗りとかで集まって来たこと。学生とか若い女性たちも、乗りこなしてますね。乗りこなさなければ生活していけないでしょうけど。

この交通カオスの中でバイク生活は辛いなと、ベトナム移住の夢がまたもや遠のきました(まだ考えていたのか!?)


レストラン


交通カオス


 戦争証跡博物館★


戦争証跡博物館


それでは戦争証跡博物館へ。ベトナム戦争の話は、ここに来なきゃ始まりませんので。

入場料を払って敷地に入ると、戦闘機や戦車がお出迎え。これらはアメリカ軍によって投入された本物です。

博物館は3階まであって、上から順に見ていくようになっています。

ホー・チ・ミンがバーディン広場で読み上げた独立宣言があり、そこから歴史解説がスタート。全てはそこから始まったようです。



野外展示

使われた武器

独立宣言

兵士

地図


戦場の地図には、どこにどの国の部隊が配置されていたのかが示されています。

ニャチャンの南からフーイェン省に入ってトゥイホワの北まで、この前私たちが行った所は、ちょうど韓国の白馬部隊が駐留していた所に相当しますね。

その北が猛虎部隊。ベトナム戦争における韓国軍の死者は約6千人。彼らは葬られることもなく、あの辺りの土になったのでしょう。



部隊配置図

白馬部隊

地図

韓国軍

爆薬の量


こちらの図は、戦争中にアメリカ軍が落とした爆薬の量を絵で示したもの。1967~1969年が一番激しかったことが分かります。

↓のサムネイル左2枚は、南ベトナム政府に与した各国の兵士数、出撃数の図表。アメリカ、次に韓国、間が空いてオーストラリア。あとはずっと少ない兵力でした。

一番右のサムネイルは、第二次世界大戦や朝鮮戦争と、ベトナム戦争を比較したもの。ベトナム戦争は、年月では他2つよりはるかに長く、兵役についた兵士数では第二次世界大戦の約半分で、落とされた爆薬の量は第二次世界大戦の約3倍、朝鮮戦争の約6倍。被害額で見ると、第二次世界大戦の約2倍で、朝鮮戦争の約12倍、死傷者では第二次世界大戦の約半分、朝鮮戦争の約3倍です。

地球上の戦史に残る激戦、消耗戦、長期戦であり、局地戦なのに世界大戦に匹敵する規模で、物的・人的被害が甚大であったことが分かります。ベトナム戦争は、戦争とはどういうものであるかを端的に表象的に示しているものではないかと思います。



各国の兵士数

出撃数

展示室

大戦との比較

マクナマラの言葉


壁にはジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン大統領の下でアメリカ合衆国国防長官を務めたロバート・マクナマラの言葉が。

"Yet we were wrong,terribly wrong.We owe it to future generation to explain why"

しかし我々は間違っていた。ひどく間違っていた。我々は未来の世代に理由を説明する責任がある(my意訳)。



ゴ・ディン・ジエム暗殺


独立宣言のある辺りに戻ると(順路間違えてた;;)、歴史的な流れを解説する中で、南ベトナム政府のゴ・ディン・ジエム大統領の射殺についても書かれていました。解説文によると、「アメリカ政権は軍事クーデターによるゴ・ディン・ジエム更迭を避けられなくなった」となっていますが、これってジエムはアメリカの指示で殺害されたと言ってるに等しいんですけど、良いんですかね?

確かアメリカは「やってない」という立場だったかと。ケネディ大統領も「同じカトリック教徒なのに自殺するとはショックだ」みたいなこと言ってました。だけどベトナム(現政府は、北ベトナムが南ベトナムを降してできた)では、アメリカが全て裏で糸を操って、南ベトナム政府トップの頭のすげ替えもしたと、国民と世界に伝えている訳ですね。

なるほど、ベトナム政府の見解は理解しました。アメリカも他国の大統領暗殺したとは決して認めないでしょう。だけど結果的に、ジエムは殺され、ベトナム戦争は北の勝利で終わったということで。

ところで不思議なことが一つあります。ジエム暗殺のわずか3週間後、今度はケネディ大統領が暗殺されたのです(ジエムが1963.11.2で、ケネディは11.22)。偶然の一致というにはあまりに・・・。私見ですが、ケネディは知ってたんでしょうね、ジエムの暗殺を。積極的関与だったにせよ、仕方なく黙認だったにせよ。そんな気がします。

残る疑問は、ジエムがカトリックのクリスチャンだったことにまつわる、個人的なものですかね。妙に頭に引っかかっています。




ベトナム戦争の前

ゴ・ディン・ジェム

サイゴン陥落

1975年4月30日

吹き抜け


中央吹き抜けの周りには、平和をモチーフにした作品が置かれています。およ、いわさきちひろの絵も。平和な日常を描いた画が、ベトナム人の心にマッチするのでしょうか。

子供が平和について学べる部屋もあって、平和教育に力を入れている様子がうかがえました。


いわさきちひろ

いわさきちひろの絵

子供用の部屋

アーティスト紹介

写真展示


3階展示室の壁の大半を占めるのは写真なのですが、ベトナム戦争の特徴一つは、世界中のメディアによって報道が自由になされたこと。

その中に日本人カメラマンもいたのですが、彼らの写真には日本語のキャプションが付いている物もあるので助かります。

有名なのはピューリッツァ賞を獲った沢田教一でしょうか。その5年後にプノンペン近郊の国境付近で狙撃され、34歳の若さで亡くなったんですけど。↓は沢田教一の写真です。台紙が茶色のところからは日本語付き。



石川文洋


石川文洋の本と写真も紹介されていました。1964年から50年に渡って後追い取材をしているので、その後がどうなったかを知ることができます。

戦争というものが、その時だけでだけで終わるものではないことを教えてくれるのは貴重なことですね。



50年

石川文洋

石川文洋

石川文洋

枯葉剤


枯葉剤による被害を克明に追ったのは、カメラマンの中村梧郎。日本人はベトナム戦争の報道写真においては陰の立役者だったと言っても過言ではないように思います。

高濃度ダイオキシンが混合された枯葉剤(Agent Orange)にはベトナム人400万人が曝され、アメリカ兵および海外派兵の者たちにも被害が出ました。

「人類に対する罪」という言葉が浮かびました。↓の下段は残虐なものも含まれるのでご注意ください。



枯葉剤

枯葉剤

枯葉剤

枯葉剤

クレイモア


アメリカ軍が使用した地雷、クレイモアも展示されています。

中に700個の鉄球と爆薬が入っていて、時限装置やリモコンで爆発させると、広範囲に鉄球を投射して、人体を穴だらけにしてしまいます。

鉄球が当たって、死なないまでも体に障害が残って、一生相手を憎んで生きることもあるという・・・。それも恐ろしいです。



爆弾

隠れていた甕

弾丸

地雷

地雷

被害者

被害者

死者の多くが市民

M16


こちらがM16。アメリカ軍の小口径自動小銃で、南ベトナム政府側、つまりアメリカ側についた兵士に配られました。

いわゆるライフル銃ですね。実は私、これを撃ったことがあります。クチ・トンネルの射撃場で。音がすごかったです。

撃つだけでも強い衝撃があって、後ろから抱えるみたいに支えてもらってなければ撃てませんでした。狙いを定めるなんて、非力な者には到底無理で。

こんな強力な武器を、私のような臆病な者に持たせたら大変だろうと思いました。怖くて思わず引き金を引いて、きっと相手を撃ってしまいます。あの時、こういう強い武器は精神的に強くて、撃たないという選択ができる人が持たなければならないんだろうなと思いました。そうなるべきです。

↓のサムネイル、上段は武器ですが、途中から枯葉剤による被害のものとなっています。心臓の弱い方、ショックを受けやすい方は閲覧に注意してください。「閲覧注意」だなんて、被害者の方に失礼なんですが、ご容赦ください。



日本の反戦運動


1階にはベトナムの抵抗戦争に対する各国の支援についての展示があり、日本のものもありました。

それプラス、折しも企画展示で、日本の反戦運動が特集されていて、「ここは日本かっ?」と思うほど、日本語が溢れていました。

ヘルメットや新聞記事、学生団体の旗など。展示室外側の壁には、日本の経済支援で建設された大型インフラの紹介も。知りませんでした、橋や道路をこんなに造っていたんですね。



日本の企画展


新聞記事


ヘルメット


経済支援

経済支援

トラの檻


野外展示でもう一つ見なければいけないのは、トラの檻と呼ばれる監獄の再現施設。

トラの檻は、1940年コンダオ島のフートゥオン(Phu Tuong)収容所内に作られたもので、1975年の解放まで使用されていました。

フランス植民地時代に作られたものが、ベトナム人によって使われるようになったというのはホアロー収容所と同じですね。

だけど違うのは、コンダオ島に8か所ある収容所の中で、フランス植民地時代に作られたものは半分で、残り半分はベトナム戦争時代に作られたものであること。つまりベトナム人が自国民を拷問・処刑するために収容所を増設したということです。

それをなぜ敢えて再現施設まで造って展示しているかといえば、南ベトナム政府側が如何に非人道的であったかを見せるため。収容所には、南ベトナムが北ベトナム寄りの運動家や共産主義者を入れて弾圧したのです。要するに北(現政府)の正当性を誇示する施設ですが、見ることにしましょう。

ギロチン、有刺鉄線でできた拷問道具などがあり、写真パネルは目を背けたくなるものが一杯。トラの檻では上から石灰と水を浴びせかける拷問が行われていました。石灰は水と反応すると高熱を発するので、そうやって全身火傷を負わせたんですね。やられてみないと分からない苦痛と屈辱・・・。



ギロチン

ギロチン

有刺鉄線

トラの檻入口

トラの檻

独房



野外展示


野外にはアメリカ軍が使用した戦車や爆弾、火炎放射器付き戦車、自走カノン砲、爆撃機に輸送機が展示されています。

雨ざらしなのに、米軍を示す星マークが鮮やかなのは、たぶん塗り直ししてますよね。「アメリカの物だ」と示したいがために。

公園になっている所には、日本から寄贈されたベンチもありました。戦場カメラマンや反戦運動、ベンチなどから日本人の良心を感じられたのは、うれしかったこと。ホッとしたというか。

しかし勝者の論理で、「南ベトナム政府最悪、アメリカなんて最低」と主張することが目立って、逆に「ちゃんと真実を見せてる?」という疑問が脳裏をよぎります。複雑な気分です。噛み切れない肉をずっと咀嚼してるみたいな。。



航空機

爆弾

兵器・武器

ベンチ


 歩いて旧大統領官邸へ


統一会堂


タクシー捕まえるより歩いちゃった方が早いということで、博物館からサイゴン大聖堂までは歩くことに。

途中、統一会堂の前も通りました。今日はもう閉門しているので、明日訪れる予定です。

外から見るだけでも、立派なもんだなと感じます。まるで強大国の大統領府のような。だけど実際は、一応大統領府ではあるけど、内戦中の南ベトナム政府の大統領府だった訳で、「戦時中ってこと分かってた?」と思ってしまいます。

アメリカやら各国が支援してくれているから、すっかり勝った気分でいたんですかね。「ベトコン(北ベトナムの共産主義者)なんて、なんぼのもんじゃ」という驕(おご)りを感じます。驕り高ぶり・・・。敗因の一つだったかもしれませんね。



旧大統領官邸

レユアン通り

門扉

レユアン通り

サイゴン大聖堂


来ました、サイゴン大聖堂。

ホーチミンを訪れたら、誰もが一度は訪れる恰好の記念写真スポット。

現在工事中で内部見学不可なのですが、それでも周りに人一杯で、混雑してます。

この大聖堂は1877年に建築が始まり、3年の年月をかけ1880年4月11日に落成。以来この地をずっと見守ってきました。フランス統治下からベトナム戦争、共産主義国家としての歩みを全て見てきたんですね。お疲れではありませんか? 私はあなたから聞きたいことがたくさんありますよ――。

ここまで歩いて来て分かりましたが、この街、フランスの計画都市とそっくりです。規則正しく配置された街路の突き当たりに、街の象徴となる壮麗な建造物、街の最も中心になる場所にカトリック聖堂と広場だなんて。

しかもフランス人が本国からわざわざ運んできたレンガで建てたから、「ここはフランスかっ?」です(今日このフレーズ多い^^;)

東南アジアでヨーロッパ情緒を味わえるから、それが魅力となっているんでしょうけど、「フランスのようだ」ということは、それだけ強く植民地支配を受けた証左なのであって・・・。雰囲気よりは歴史を思い、味わうべきでしょうか。壮麗な聖堂を見ると、クリスチャンとしては気持ち的にはうれしいけれど☆



サイゴン大聖堂

サイゴン大聖堂

工事中


パネル

サイゴン大聖堂

郵便局

街路

夜は


夜はT夫妻が知人夫妻に会いに行くというので、私たちもお相伴に与ることに。待ち合わせのため、郊外のロッテマートに向かいました。

ロッテマートは韓国と寸分違わず、楽に買い物ができました。周辺はアジアンな夜市。熱気と気迫に負けて、私は手も足も出ませんが (^_^;)

移動中外をぼんやり見ていたのですが、人の名前と革命に関する名前が多いですね。道に付けられた名前のことですけど。



道の名前から見えるもの


タクシー運転手さんとのやり取りでは、「ヴォー・ティ・サウ」という名も聞こえたような。彼女の名前が道に付けられているのかと思い調べてみたら、彼女だけでなく、リータイトー通りにハムギー通り、フンヴォン通りにチャンクオックトアン通り・・・って、人名ばっかやん。

ディエンビエンフー通りは有名な戦勝地からきているし、ソヴィエトゲティン通りは対仏運動の名称。他にも私が調べきれてない道名がたくさんありそうです。思えばハノイの道名も、人名ぽいのがありました。ではどうしてこうなのか? 私はこれも共産主義国家の特徴のように思います。

革命と、それに関係した人々、あるいは民族の歴史を輝かせた英雄を称えようと、昔からの固有の地名ではなく、敢えてそういう名前を付けたのでしょう。現体制へと導いた革命を賛美し、人に栄光を帰している様子は、人本主義的考え方からきているものかと。つまり突き詰めて言うなら、唯物史観(史的唯物論)の結果体です。


唯物史観の行き着く先


唯物史観とは、歴史発展の原動力をモノやカネの動きからきているとし、その土台の上に精神的なものが乗っかっているとするもの。この考え方によると⇒「神の見えざる手」などといういい加減なものに頼ると、富の格差が生まれる⇒だから富を平等に配布する政治体制にしよう、そうすることが究極的な進化形態だ、となります。

しかし、じゃあ国のトップには誰がなる?⇒答:そりゃ経済に詳しい人でしょ、となり、無知な一般国民は発言権がなくなり、自由が制限されるのです。要するに独裁主義の温床となり得る訳ですね。ソ連・中国・北朝鮮などを見れば、結果としてどうなるかは、今では自明の理。だけど50年前の世界は、東西両陣営でしのぎを削っていました。歴史的な結果を見ることができなかったのです。

そんな中でベトナムは、東南アジア初の共産主義国家としてスタートしたんですね。今はそのゴリゴリの史観を修正して、ある程度自由な経済活動が可能になったようで、夜市に活気が満ちていますが・・・。

歴史的・世界的なベトナム戦争から、共産主義国家、そして修正への変遷をたどった国の現状を、今こうして目の当たりにして、ベトナムを知るって深っ!って感じます。あ、美味しそうな匂い・・・(´∀`*)




夜市

食べ物屋

服屋

夕飯


さすがベトナム在住の方は美味しい店をご存知で、「焼いた肉がこんなに美味しくなるの?」というディナープレートを満喫。お子さんたちのキュートさにも撃沈しました。

子供たちの笑顔に未来の明るさを感じるのは、どこに行っても同じかも。そのために、大人がしっかりと良いものを遺していかねばですね☆




歴史のオフサイド


今日「結果としてどうなるかは、今では自明の理」と書いて、「これ、オフサイドだな」と思いました。どこかで審判のホイッスルが鳴っているように感じたのです――。

オフサイドとは、サッカーのルールの一つで、簡単に言うと「待ち伏せ禁止」のこと。例えば攻められている時に、相手陣内でロングパスが来るのを待ち構えてはいけませんよ、ということで、やればペナルティを課されます。

私がどうしてオフサイドかというと、 先の世で待ち構えて、その当時の人のことを「あんなことしちゃって・・・」と裁く気持ちが働いたからです。当時は誰も分からなかったことなのに、未来から見て裁くなんて、ひどいですよね。誰も勝てません。

もちろん教訓はあるでしょう。学ぶことも。「あの時こうしておけば良かったのに」と思うのは、感想としては自然なものですし。だけど「待ち伏せ禁止」ルールを心に留めておきたいなと思いました。

なぜなら、いつか自分も過去の人となり、未来の人から「あんなことしたのはさ~」と言われる立場だからです。そんな時ひと言くらい言い返したいじゃないですか。「だって、未来がこうなるって知らなかったんだもん」と。

歴史を見ながら、無闇に当時の人を裁かず、欠席裁判をしないように心がけたいと思います。自分が糾弾されるんだとしても、自分からはしないようにと。それは、もしオフサイドのペナルティを、神様が課すとしたら、それだけは勘弁願いたいと思うから・・・。今日はそんなことを考えながら (*^-^*)オヤスミナサイ




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