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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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花咲く甲斐路 vol.2


今日は甲府で村岡花子関係の所を回って、八ヶ岳の方へと参ります。高原もあるなんて、やっぱり山梨は広い! お天気がちょっと心配ですが、一番良いようにしてくださると信じて、行って参ります~( ̄▽ ̄)



古地図


まずは甲府市の真ん中を目指してテクテク。朝なのであまり人もおらず、カメラ持って住宅街歩いているのが、ちょっとそぐわない感じも。不審者じゃないですよー☆

この辺りは城下町だったようですね。古地図で往時の面影を教えてくれる解説板があちこちに建てられています。


甲府カトリック教会


甲府カトリック教会は住宅街の一角に。雨宿りしているホームレスの人が。奉仕活動とかもしているんでしょうかね。

時間が早いからか、まだ扉は開いていないもよう。こじんまりとした教会で素敵ですが、外観だけで満足しましょう♪


日本基督教団 甲府中央教会


またテクテク歩いて、今度はプロテスタントの日本基督教団 甲府中央教会へ。

建て替えたばっかりなのか、真新しい建物です。ステンドグラス風のガラスがはめ込まれたりしているところが、ちょっと昔のカトリック教会みたい。

最近こういう教会堂多いですよね。教会らしい教会に通いたいというニーズがあるんでしょうか。



舞鶴城公園


それでは駅そばの史跡地へ。舞鶴城公園です。舞鶴城=甲府城。ここに来たいがために、車を宿に置いてきたのでした。

駅近過ぎて、駐車場がない(バス・障害者専用駐車場しかない)ものですから。

だけど敷地は広いですね。駅近にこれだけのスペースを確保して、城を残すって英断だったと思います。



案内板

解説

鉄門

鉄門解説

オベリスク?


公園の真ん中にはオベリスク(なぜ?)。慰霊碑か何かかなぁ。

甲府城は、秀吉の命令により甥の羽柴秀勝らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子によって完成した城。関ヶ原の戦い以降は再び徳川の城となり、幕末まで存続しました。

城跡の遺構を結構ちゃんと保存していて、見所多いですね。坂下門石垣では時代の異なる石垣を見比べてみたり。歴史好きには楽しいかも☆



解説板

坂下門石垣

石垣

公園内

天守台


天守台は築城当時のままのものだそう。大きくはないですが、趣があって「いいな」と、思わず気に入ってしまう感じ。

お殿様はここから城下を眺めていたんですね。

1704年、城主の徳川綱豊が第5代将軍・徳川綱吉の養嗣子となり、江戸城西の丸へ移ると、かの有名な御側用人、柳沢吉保(祖先が甲斐出身の)が城主となり、城下町を発展させました。そして吉保の子、吉里が大和郡山城主として転封されると、幕府の直轄地となりました。


福者、フランシスコ遠山甚太郎


さて、キリシタンヲタクの私が早起きしてまで参りましたのは、やはりキリシタン狙いでありまして、この城ゆかりの人物がいるからです。それはフランシスコ遠山甚太郎!!(とテンション上げて、どれだけの人が共感してくれるのか不明ですが;;)

フランシスコ遠山は、1600(慶長5)年に甲斐国を治める浅野幸長(あさの・よしなが)の家臣の家に生まれました。フランシスコ遠山が生まれてすぐ、浅野幸長は和歌山に転封(栄転)したから、甲府で暮らしたのはわずかの時間に過ぎず、本人記憶ないかもしれないですけど、でも甲斐生まれであることは確か。

フランシスコ遠山の父はこの城に通ってたんだと思います。城下のどこかに家があったんでしょうし。成長してからも、「生まれは甲斐です。幼い頃までだから全然覚えてないけど」とか言ってたのかも。

1624(元和10)年2月広島で、24歳の若さで殉教しちゃうんですけどね。フランシスコ遠山は2008年に188福者の一人として列福されています。



天守台解説

天守台より

眺められる景色

天守台にも碑が

これは何かと思ったら・・・


下りて行くと、傍らの石垣が変色していました。何だろうと思ってよく見てみたら、落書きを消した跡でした。嫌ですねぇ、こういうの。

落書きもダメだし、落書きの消し方もぞんざいで、二重にダメです。落書きを消すことで断罪している感じも、遊びに来た人には悪印象かと。落書きはさー、ほんとやめようよ (;´Д`)



落書き跡


鍛冶曲輪門

鍛冶曲輪門

県庁


城から大通りに沿って県庁へ。近場をもう少し歩きましょうかね。こういう都市では、車より歩く方が便利なことがあります。

甲斐の国、現在の山梨県とキリシタンの関係は、あまり「濃い」とは言えない感じ。宣教師の書いた報告書の中に、「甲斐国」という地名は出てくるものの、布教はどうやら行われなかったとみられます。なので、一般のキリシタンが処刑されたという記録もありません。

有馬晴信が、岡本大八事件の故に甲斐に流されていって、そこで、その子供たちもろとも斬首されたということがあったので、それは一応「キリシタンの処刑」ではありますが、罪状が贈収賄ですからね、「殉教」とは言いにくいことは、昨日述べた通りです。



日本基督教団 甲府教会


しばらく歩いて日本基督教団 甲府教会を発見。

村岡花子が受洗した教会ですね。

村岡花子は「赤毛のアン」などの翻訳者で、NHK朝ドラヒロインのモデル。

山梨の人だったから、村岡花子で観光客を呼ぼうという動きもあるようです。今は静かですけど、見学に訪れる人もいそう。



山梨県道路元標


県庁方面に戻ると、警察署の植え込みにめっちゃ目立たない姿で山梨県道路元標が。ここから距離を全部測ってるでしょうにね。ま、別に目立つ必要はないのか。

道路元標はその地域の主要な道路の交差点に設置されたはずだから、ここが「札ノ辻」だった可能性がありますね。「札ノ辻」とは、キリシタン禁令などの布告を掲示した場所で、「高札場」とも言います。

もし高札場だったなら、興味津々なんですけど、ここはどうだったか分からないので、通り過ぎるしか。もっとちゃんと調べて来れば良かったな(←いつもそう言ってる気がするけど)。




 村岡花子がいた場所へ♪


山梨英和学院・中高等学校


ホテルで車を取って、ここからはドライブ。山梨英和学院・中高等学校に来てみました。

村岡花子が教師をしていた学校ですね。ここで5年間勤めた後、銀座の教文館の編集者となり、そこに出入りしていた村岡儆三と結婚。

それから外国の家庭文学の翻訳家として活躍していくようになります。なんだか素敵です。いいな。



日本基督教団 愛宕町教会


山梨英和学院の近くにあったので、日本基督教団 愛宕町教会にも寄ってみました。ここに通う学生さんもいるんでしょうかね。

山梨英和学院はキリスト教主義の学校だから、あり得るだろうなと思ったりして。



 それでは八ヶ岳へと向かいますヾ(´▽`*)ゝ


牛!それから羊!


では八ヶ岳へ~!

高速に乗って北杜市長坂町へ向かっていくと、景色がどんどん田舎に、森林に、山にと変化していきます。

そしていい感じの牧場も。そっか都会で飲んでる牛乳はここで絞られてるのね。サンキュー、ホルンスタイン♪(太字にする必要ないけど^^)



日本聖公会 長坂聖マリヤ教会


長坂聖マリヤ教会に到着。聖公会の教会で、ポール・ラッシュ博士の清里での働きから派生して1962年に誕生したんだとか。

この辺りは避暑のためのペンションとかが多いので、そこに滞在している人や、八ヶ岳に遊びに来て寄る人がいるんでしょうね。

木目が優しい印象です。



鹿にも遭遇!


しばらく走っていると、ガサゴソ音がしたと思ったら、車の前に大きな鹿が!

すぐに山へと飛び跳ねて行ったので、一瞬のことでしたけど。よく見たら、木々の合間からこっちをうかがってました。

可愛いですね。ぶつかったりしたら大変でしょうけど (;^_^A



日本聖公会 清里聖アンデレ教会


山の頂上付近には清里聖アンデレ教会が。こちらの教会から先ほどの教会が枝分かれして出来たんですね。

教会堂もありますが、公益財団法人キープ協会となっていて、様々な体験プログラムが用意されているようです。

米国の国際YMCAから派遣され、日本にアメフトを浸透させたポール・ラッシュ博士を記念する記念館も建てられているようです。今日は時間がないから詳しく見て行けませんが、一日過ごせそうな所ですね。



教会堂

教会案内

様々な施設


 あまりに霧が濃くて・・・(^。^;)


北杜市高根生涯学習センター


お天気が徐々に湿っぽくなってきて、霧が立ち込める幻想的な風景に。ここ北杜市高根生涯学習センターなんですけど、まるで事件が起こる前の山荘みたいです。

嵐が来て、ロッジに閉じ込められて、いつの間にか電話線が切られてて、外界と連絡取れなくなっちゃうという・・・、ミステリーの見過ぎか (^^;)アハ


浅川伯教・巧兄弟資料館


とりあえず中へ。こちらの館内に浅川伯教・巧兄弟資料館があるのです。

外寒かったので、暖房うれしいです。11月は東京では秋たけなわだけど、もう山の方は冬なんですね。

浅川伯教(のりたか)と巧(たくみ)の兄弟は、どちらもクリスチャン。兄弟両方とも朝鮮との架け橋になった人で、日韓両国で尊敬されています。



浅川兄弟資料館内部


中に入ると(なんと無料)、あまり広くはないものの、工夫された展示室が一つの世界のように広がっていました。

北杜市出身の浅川兄弟は、戦争と日本統治真っ只中の時代に朝鮮に渡り、朝鮮の人の立場で物事を考えた日本人。朝鮮文化をリスペクトするなんてこと、当時の日本人は考えてもいなかったので、それだけでも立派な人たちだったことが分かります。

兄弟は特に朝鮮工芸の美に注目し、紹介することに努めました。展示によると、失われていた窯元や技法を復活させることもしていたようですね。ほんとすごい。



浅川兄弟資料館展示物


資料館には兄弟の足跡がわかる年譜やビデオ解説、ジオラマ、朝鮮青磁・白磁が手前に展示されていて、奥に行くと芸術家でもあった伯教が残した書や絵画の数々を見ることができます。

巧が朝鮮の人々と心を通わせたことを物語る日記なども興味深いですね。

そう言えば巧は先ほど訪れた日本基督教団 甲府教会の教会員でした。2人がクリスチャンだったことは年譜で簡単に触れられているだけですが、キリスト教精神があったからこそ、人を平等に見ることや、その文化に敬意を持って接することができたのではないかと思います。その点ももっと紹介してほしい気がします☆



展示室

浅川兄弟

ジオラマ

書など


 浅川兄弟ゆかりの地をめぐろう!


浅川兄弟生家跡


では資料館を出て、浅川兄弟ゆかりの地もめぐってみましょー。

まずは生家跡。唖然とするほど何もないですが、霧の中にかすかに石造物が見えます。

私有地っぽいので、中にズカズカ入って行けず、外からパチリ。へぇ、ここで生まれて、海外へ行ったんだ。今でも山里っぽい所なのに、随分と考えが開けていたんですね。誰の影響だったんだろう。



霧の中

浅川兄弟生家跡

古い祠

浅川兄弟生誕地の碑


浅川兄弟生誕地の碑は、生家跡と少し違った所に。農村公園の入口に建てられています。

結構大きくてしっかりした石碑です。こんな碑を建ててもらえる人少ないと思います。

地元で尊敬されているんでしょうね。


浅川兄弟生誕地の碑

浅川兄弟生誕地の碑

農村公園

浅川兄弟の祖父の歌碑


少し行った熱田神社には、浅川兄弟の祖父・四友の歌碑があります。この方インテリだったようです。地域で尊敬されるような。

兄弟に影響を与えたのは、祖父の姿だったかもしれないですね。父親がわりだった祖父が焼き物をしていて、少年時代の兄弟に手ほどきをしたと伝わっています。

伯教が美術から文学まで多芸多才だったのは、祖父譲りだったんだと、歌碑を見て分かりました。



熱田神宮


神楽殿?

祖父の歌碑

浅川兄弟の墓所


墓地に移動して、浅川兄弟のお墓参り。巧の墓は韓国にもあるんですけど。

「科学も宗教も工芸も道は一つなのだ」と考えていた巧は、それらの垣根を取っ払って生きていました。

職業としては林業に携わりながら、詩や芸術を愛し、朝鮮の陶磁器や工芸の研究・執筆活動をし、友人や身近な人々にキリストの教えを説くこともあったとか。

民族差別の激しかった時代に、巧は、朝鮮語を学び、朝鮮人の友人たちと食事を共にし、白い朝鮮服を着て街を歩いたといいます。それで朝鮮人と間違われて、他の日本人から差別的態度を取られることもしばしばあったと、親友の柳宗悦(やなぎ・むねよし)に語っています。

柳宗悦も朝鮮陶磁器の美しさに魅了され、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せていました。1919年5月に日本の植民地政策を批判し朝鮮人を弁護する「朝鮮人を想う」という文章を新聞に掲載しました。この年の3月1日が三・一独立運動が起こった訳ですからね、日本は朝鮮を弾圧し、朝鮮では独立運動が最高潮になっているときに、日本人が日本政府を批判し、朝鮮人を擁護したのです。

すごい勇気だったと思います。こういう日本人もいたことを、韓国の人にも知ってもらえると(知ってる人は知っていると思うけど)いいでしょうね。柳宗悦はクリスチャンじゃないけど、浅川兄弟とヒューマニズムで思いが一致していたのかと。

今もソウルで光化門が見られるのは、この人たちが取り壊しに反対して世論が動いたからです。浅川兄弟から、少し話が飛んじゃいましたが (^▽^;)



浅川兄弟の墓所

浅川家の墓

浅川家の墓

解説碑

お昼を♪


それではそろそろランチタイムに。

オーガニック の素敵なお店があったので、入店してみました。こちらのランチプレートのお肉みたいなものは、大豆でできたお肉(何とかミートと言うらしい)。

田舎町のようだけど、少し行けば高原リゾートだし、移住してきてオシャレなお店をオープンしている人もいるんですね。混んでないのもうれしいです~(^^♪


高根西小学校


浅川兄弟めぐりラストは高根西小学校。2人が通った小学校です。

近代的な体育館と校舎で、2人が通った頃とは全く違っているでしょうけど、場所は同じ。

生家からだと随分離れてますが、昔の人は健脚だったのかな。季節の草花を愛でながら、通学していた様子が目に浮かぶような気がします。




 それでは泉郷へと参りましょう (*^^*ゞ


セラヴィリゾート泉郷


次に訪れたのは、セラヴィリゾート泉郷。

今は洒落た名前になっていますが、昔は「八ヶ岳の泉郷」とだけ呼んでいた気が。

たくさんロッジとかあって、家族で避暑に来るような所ですね。今は少子化の影響もあってか、家族連れだけでなく、高齢者が不便なく過ごせるプランもあるようです。



泉郷

ロッジ

ロッジ

バンガロー

赤く染まった植栽


赤く染まった植栽がなかなかキレイで、写真スポットとしても良さそう。昔来たことがあるんですが、施設も自分たちも変わっていて、少しちぐはぐな気分になります。

同じ場所に10年、15年振りに訪れると、自分たちの上に流れた時間に、否が応にも向き合うことになるからでしょうね。不思議な感じですが、それも必要なことなのかと。




 次は笛吹市へ...((((=・o・)ノ


春日居郷土館


それでは甲府市に帰ると見せかけて、少し通り過ぎて笛吹市へ。ここにも気になるクリスチャンがいるものですから。

こちらの春日居郷土館内に、小川正子記念館があります。小川正子はハンセン病患者の救済活動に生涯を捧げた女医さんで、春日居町名誉町民第1号なのです。


小川正子が暮した家


室内の展示品は写真撮影不可でしたが、敷地内に移築された小川正子が暮した家は撮ることができました(←)。

小川正子は1902(明治35)年、春日居村桑戸に生まれ、甲府高等女学校(現・山梨県立甲府西高校)を卒業。一度結婚しましたが離婚して、それから東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)に入学して医学を修めました。


小川正子の生き方


卒業間際に多摩全生病院を訪問したことをきっかけにハンセン病患者救済を志すようになり、献身的な医療活動を続ける傍ら、研究も行っていました。しかし35歳のときに結核に罹患して故郷に戻り、静養する中で手記をまとめました。

この手記が本になって出版されるとたちまちベストセラーになり、映画化もされて有名になったのですが、6年後の1943(昭和18)年にこの世を去りました。小川正子が暮した家からは、素朴で凛とした佇まいが感じられますね。そういう人だったんでしょうか。

中庭に建つ小川正子記念碑には、「生きてゆく日に 愛と正義の十字路に立たば 必ず愛の道に就け」と刻まれています。愛の道に・・・。



説明板

庭の歌碑

恵の鐘

小川正子記念碑

仏念寺


小川正子のお墓がある仏念寺にも来てみました。クリスチャンだったんですけどね、お墓はお寺にあるようです。

正子は、無教会派のクリスチャンだったので、特定の教会にお世話になるということがなく、それで地元のお寺に葬られたのかもしれないですね。


小川正子の墓所


小川正子のお墓には、歌碑が二つ建てられています。

石のベンチまで据えられていて、結構ちゃんとしたお墓ですね。

墓碑も新しいもののよう。近年になって功績が認められて、後で整備されたのではないかと見受けられます。



墓所案内

小川正子の墓

歌碑

歌碑

夕陽


小川正子は、晩年キリスト教信仰から離れていたとか言う人もいますが、ハンセン病者の救済に生涯を捧げる生き方自体が、キリストに倣う生き方ではないですかね。

もはや教会とか、そういった組織や団体で過ごすのではないところで、キリストとつながって生きていたのかも。そんな勝手な想像をしていました (●´ω`●)




 甲府に戻って ('-'*)


甲府へ


それでは一路甲府へ。空の芸術が今日も目を楽しませてくれています。神様って天才、すご過ぎる。

子供みたいな信仰告白ですが、心のまま正直な言い方をすると、大抵の賛美はこんな言葉に集約されるような気がします。

子供のような心で、感じたまま言えばいいですしね、神様に対しては。



日本基督教団 南甲府教会


まだ暗くなってないので、甲府市内の教会ももう少し回っておきましょうか。

こちらは日本基督教団の南甲府教会。近隣の人が通っているんだろうなという感じです。


日本基督教団 山梨教会


そしてこちらが日本基督教団の山梨教会。同じ甲府市内なのに、日本基督教団の教会がいくつもあって、ちょっと驚き。

元々は違う系列の教会だったのが、戦時中の教会合体で日本基督教団所属になったんでしょうか。後で調べてみよっと。



今日も一日無事で感謝!


有り難いことに、今日も無事に終了。キリシタンだけでなく、村岡花子、浅川兄弟、小川正子ら近代のクリスチャンまで足跡を辿れて充実感を感じております♪

明日帰るけど、最後まで目を覚ましていきたいです。そう言えば、明日は「明るい日」と書くんですね。明日、明るい日になりますように!




愛の力で☆彡


コスモスの花咲き、ぶどうの実結ぶ甲斐路を行くから、自然を通して教えてもらうことが多いです。穀物は種が地に落ちて大きく成長している中で、実を結ぶ期間があります。蒔かれて6~8カ月ぐらいになる時で、この時を逃したら実を結べません。

これと同じく人生も、救いという実を結ぶ期間があるように思います。つまり生まれてから死ぬ時まで。肉体が生きている期間です。この時に救いの実を結べなければ、終わってしまうのです。

生きている期間に、時を逃さず行うことをしないと、自分がしたいことも、自分を救うこともできません。だから・・・、自由に体を動かせる時に目的に向かって体を伸ばさなければなりませんね。時間がたくさんあると勘違いしたりしないで。

今日足跡を追ったクリスチャンたちは、自分に与えられた期間を走り抜けた人たち。それぞれが愛の実践だと思うことのために、体を伸ばして行っていったのです。きっと救いの実も刈り取ったことでしょう。もう、ほんとカッコいい。

彼らが教えてくれていることは、誰でも愛の力でクールになれるということ。各人の個性があるから、個性どおりに道を選ぶけれど、それぞれの分野でカッコよく生きていけるはず。時を惜しんで自分らしく、クールに実を結んでいきたいです (^_-)-☆






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